生きる人数
この年齢で独身であることは異常といわれる。
私が異常と思っているわけではなく、いわれるし(割合が増えていても)一般的ではないのだろうという認識はある。
残念ながら、長く付き合って別れるということを繰り返せばそうなる。
あげく、二回目は病気発覚である。
普通の人生がこの相手(私)だと送れない。
三十路記念なので、それは単にオバサンバイバイの機種変更の、わたりに船だったのかもしれない。
収入も性格も見た目も凄惨なうえに、年齢、あげくに病気、もう罰ゲームでしかない。
という再確認により、声をかけられても断り、そういうものをさけ、気がつけば声をかけるどころか対象外であることを露骨に示されることすらある。
(まるで中年男性が、目があっただけでセクハラ呼ばわりされる悲哀)
とはいえ。
生まれた家族ということでなく、自分の家族がないことが寂しくないわけではない。
この年齢で独身なら地雷物件か信条かなにかだろうと、言わない人も増えたけれども、いまだに言われることもある。
「なぜしないの?できないの?」
ある意味、できません。
そういうことで。
どんなにヒドイ人材でも本来なら婚活する権利はあるが、自分はそもそもそこに立ってはならない気持ちだ。
ほかのあらゆる闘病者の名誉のためにいうなら、権利はある、余命一ヶ月だとしても権利はある。
誰にでもある。
私にはないと思う。
それが、最愛の人に機種変更を受けたときの感想で、それは数年たっても脱することができない。
脱したとして、手遅れと言われる年齢になった。
そうしたのは別に相手のせいではない。
私がそう思い、決めた結果、こうなってしまった。
思い直したところで、自分が捨てた未来はとっくに焼却処理住みで回収できない。
ということを、寝る前にふと思った。